お疲れ様です。eximpです。
今日は『嫌なことからは逃げても良いという風潮』について独断と偏見で言語化したいと思います。
と嫌なことを頑張ることと、何かを強要されること
に対する向かい風が強いです。
労働環境が改善されるので、それ自体はいいことだと思いますが、上位者は非常に気を遣わなくてはいけなくなり、やりづらいです。
昨今この風潮に追い風が吹きすぎて、最低限の役割を果たせていないにもかかわらず、被害者としての発言力だけが強化されているようにも思えます。
平成元年はトランスフォーマー
私は平成2年生まれで、先輩たちはみな昭和、後輩たちは平成、令和という構図です。
先輩たちにはゴリゴリら昭和チックなパワープレイを受けたこともあるが、後輩たちにはホワイトな振る舞いが要求される。
つまり前例のないマネジメントを要求されます。
昭和・令和どちらの気持ちもわかる
昭和の『歯食いしばって、嫌なことでもまっすぐ向かっていき、血の匂いを撒き散らしながら成果をあげる』
この考えについて、私は美しいと思う派です。
一方で、平成令和の『嫌なことからは逃げてもいい。成果を出すためには無駄な労力をかけず、手法を知ることが重要』
これもその通りであると思います。
時代は変わった
前者の考えが老害的考えであるかと言えば、そうとも言い切れないです。
前者は、昭和〜平成を駆け抜けてきた多くの雇われにとって、その当時は合理的な要素であったからです。
しかし時代は代わり、幾多の情報を処理して適切なアクションをとること。情報を先読みし、プロアクティブに対応すること。
この二つが令和のKSF(key success factor)です。
無駄な労力を投下している間に、情報の鮮度はみるみる落ちていき、出遅れ手遅れになります。
つまり、非効率なやり方で寝ないで頑張るよりも、効率的なアプローチを思考する方がはるかに合理的な世の中になってしまったのです。
努力はハラスメントとセットで考えられがちですが、仕事の質にもゲームチェンジが発生したため、努力の定義や価値も変わって行ったのでしょう。
今の若者は踏ん張ることをしらない
と引退を視野に入れた人々は語ります。
ですが、努力でどうにかなっていた昭和のあり方よりも、ある意味残酷な世の中で戦っているとも言えます。
なぜなら、現在のKSFは、努力で補完できる可能性が低く、戦闘思考力が如実に結果に現れてくるからです。
踏ん張る力を培うことも大切
来年あたりは、今から述べることを真っ向から否定しているかもしれません。いや、半年後かもしれません。
踏ん張る力を培うことは重要で、特に20代前半はガムシャラ、回り道でもやり切る、嫌なことにも立ち向かい、失敗、成功を経験する。ということが必要だと思います。
やはり思考だけでは成果に結びつくことはなく、成果創出までのプロセスに困難は避けられないからです。
入り口は思考ですが、思考して出た正解を成果としてあげるまでのプロセスは、「頑張り」に依存することが多いです。
これを、非効率だから。と辞めてしまっては元も子もありません。
まとめ
昭和と平成、そして令和では努力に対する価値観が代わり、辛いことに対する向き合い方、考え方が変わりました。
それはそもそも仕事の質にゲームチェンジが発生したからです。
嫌なことからは逃げても良い。というのは、昨今の振る舞いとして、ある意味で合理的、成果創出のための近道でもあるかもしれません。
ただし、成果創出までのプロセスには、困難や非合理に立ち向かう場面に必ず出会します。
昭和の今の若者は、、、、、というコメントも、昨今において老害的考えとは言い切れない。むしろ私は必要な要素と考えます。
さて、これから私はどんなマネジメントをしたら良いのやらvuca。
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